十代、二十代のころは、「いつかきっと◯◯になりたい」というと「がんばって」と応援されますが、四十代、五十代でも「いつか」と言っていると、周りの人には「いいかげんにしたら?」って言われそうですよね。何より、自分自身が「いつか」は来ないんだ、という気持ちに支配され、あきらめてしまうことが多いのではないでしょうか。
私自身も、「なりたい自分」との差が縮まらず、もう無理なのかもしれないと思い始めた今日この頃、工業デザイナーの水戸岡鋭治さんの言葉に出会いました。
「僕なんか優秀じゃないから、行ったり来たりしながら、何度も何度も検討しながら、それでも、『いつかはちゃんと』って、『いつかはきちっと』って、『いつかはすごいものを』っていうので生きてきてるわけだから。もしかしたら、人生そのものだって、『いつかは、きっと』ってことでやってきてるわけだから。そう簡単に諦めるわけにはいかない」
(NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 第160回 2011年4月4日放送 列車は、走るびっくり箱 デザイナー・水戸岡鋭治 より)
水戸岡さんは、十八才からデザイナーとして働き始め、不遇な時代が長く続きましたが、四十五才のときに自分の道を見つけた、と思ったそうです。
わたしは常々、子育てした分実年令から十を引くことを皆さんにおすすめし、自分もそうしています。水戸岡さんが四十五才なら、わたしは五十五才でいいんだ。あと何年かは(ひとけたですが^^)「いつかはすごいものを」と思い続ける勇気が出ました。
水戸岡さんのお話でもう一つ印象に残っていることは、「個人にはギリギリで誰もしない仕事がまわってくる。だから徹夜は当たり前だった」個人で仕事をするということは、こういう厳しい条件の中で成果を出し続けなければならない、ということです。一人で働いていると、ともすると自分への甘えが出てしまうのですが、それではいつまでたっても「いつか」が来ない、と解釈しました。
「いつか」のタイムリミットをとりあえずもう少し先に設定し、地面を見ていた顔を前に向けて進んでいきたいと思います。
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