2011年6月1日に、J300という女性社長、女性の個人事業主が集まるイベントがありました。
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J300 2011~つむぐ・つながる・つくりだす~.
イベントの基調講演で、内閣府 政策統括官(共生社会政策担当)の村木厚子さんがお話されました。
村木さんは、無実の罪で164日間も勾留され、最終的には潔白が証明されたことは皆さんもよくご存知かと思います。
その経験に関して、検察の執拗な取り調べになぜ耐えられたのか、あなたはどうしてそんなに強いのですか、という質問をいろいろな人から受けるそうです。
次の4つの理由が考えられる、と村木さんは話します。
1 仕事で知り合った人が助けてくれた
2 ハードな仕事に慣れていた
3 危機管理に長けていた
4 家族がいた
<仕事で知り合った人が助けてくれた>
助けてくれた人は、意外なことに、自分が助けてあげた人ではないそうです。前にお世話になった人が、また助けてくれたそうなのです。このことから村木さんは、「助けられていて、いいんだ」と思ったそうです。
逆に、厳しい取り調べに屈してしまう人は、親しい人が一人去り、二人去り、と減っていき、だんだんどうでもよくなってしまい、最終的に自分の主張を曲げてしまうそうです。
ちなみに、村木さんに助けられたという人は二人いて、一人は若者、一人は年配の人。どちらの人も、村木さんは自分の話をよく聞いてくれた、ということで恩を感じているそう。このエピソードも深いなあと思いました。
<ハードな仕事に慣れていた>
検察の取り調べは、昼から始まって夜10時、11時まで。午前中は休めるので体力負けしなかったそうです。ご飯は作らなくていいし、洗濯もしなくていいので、楽勝だったとか。
日経WOMAN 2011年7月号p12(「妹たちへ」という村木さんのエッセイが載っている)によれば、お嬢さんに家事を頼っていたということですから、仕事で遅いのに慣れており根負けしなかったということでしょう。
<危機管理に長けていた>
仕事と育児との両立で培った危機対応。これを読んでいる方は思い当たることが多いと思います。村木さんのやり方は、
・今さらどうしようもないことはやらない。
・やれることを全部書き出す。
ー 今すぐできること、少し先にできること、これができたら次にできること、などに分ける。
つまり、なぜつかまってしまったのか、ということは一切考えないようにした。できることだけに集中した。ということです。
<家族がいたこと>
200%信じてくれる人がいることは大きかった。
娘が将来困難にぶつかったとき、ママもがんばれなかった、ということを思い出し、折れてしまうのではないか。
そのことを考え、ここでがんばらなければ娘のためにならない、がんばろう、と思えたそうです。
私は強くない。
しかし、30年間やってきた仕事と家庭が私を助けてくれました。
どの経験も無駄にはなりませんでした。
と村木さんは結びました。
このイベント「J300」の今年のキャッチフレーズは、「もっとぶっちゃけようよ」でした。
これを受けて、村木さんは
「拘置所で快適に過ごす方法についてお話しようと思ったのですが(笑)、」
とノリのいいところを見せてくださいました。
本当に、話の随所にユーモアのセンスが感じられ、すばらしい講演でした。
ちなみに、村木さんの現在のお仕事は、ダイバーシティ・マネジメントだそうです。
今後ぜひ、このテーマのお話も聞いてみたいと思います。